学生ツアーの目的地は、夏は与論・沖縄の南国ツアーおよび志賀高原+野尻湖のテニスツアーだった。
特に南国は大人気だったが、往復飛行機だと高いから、片道は「波之上丸」というフェリーを使った。
JET&SEA SEA&JET といったネーミングで、一番安いのはSEA&SEA。
なんと船泊だけで4泊!驚異的なツアーでしたね、安かったけど。
でもみんな船旅は暇なので、現地に到着する頃には何組ものカップルが誕生したものだ。
当時最も人気のあった南の島はなんといっても「与論島」だった。
当時は「ヨロン島」とカタカナ表記していたので、中にはグアムやサイパンと同様に「外国の島」だと勘違いしていた子もいて、「パスポートはいらないんですか?」と真顔で質問されることもあった。
そんな南の島の独特なノリは、まず初日の夜の「ウエルカムパーティー」から始まる。
そう!「与論献奉」と呼ばれる歓迎の儀式を行うのだ。
地元の主が宴を主催して、アルコール濃度45度近い「有泉」という焼酎を大きな杯で回し飲みするのだが、これには「お客をもてなす」という意味があるので、どんなに酒の弱い人でも断れない雰囲気がある。
限界を超えたら「とうとう」(もう貴方の気持ちは充分伝わりましたという意味)と言ってやんわり断る。
しかし、スタッフは断るなんて言語道断!
初日を盛上げるために、率先してひたすら有泉を飲み続けなければならない。
そんな感じで与論献奉の後半の記憶はほぼなく、気がつけば大金久海岸(百合が浜)のグラスボードで、背中に星の砂をくっつけたまま見知らぬ女の子と朝を迎えるってことも多々あった。
無事翌朝を迎えられた者は、グラスボード・シュノーケリング・当時大流行したウインドサーフィンやカタマランヨットでマリンスポーツを堪能。
一方有泉につぶされた者は、日中は何もできずに爆睡するのであった。
でも、夜になると全員が集結してそのテンションも最高潮に達し、東区の「スカイラブ」茶花の「サザンクロス」「ラブアタック」大金久の「エデン」等のディスコを貸切。
二次会は、ピニャコラーダやチチ等、当時最先端のトロピカルドリンクを提供していた、赤崎の「ココナッツガーデン」というカフェバーで朝まで、というのがパターンだった。
冬は志賀一ノ瀬・北志賀竜王・斑尾高原・苗場・栂池あたりへのスキーツアーだった。
私が一番添乗・駐在した場所は斑尾で、3泊コースの場合、1日目と最終日は箱を貸切って「ウエルカムパーティー兼フェアウエルパーティー」を行った。
貸切る箱は「サーディンハウス」「花言葉」「ホワイトハウス」
どれも音響や照明がシッカリしている「ディスコ仕様」だった。
特にサーディンハウスは最高で、昼間は「ふわふわわうわう」というケーキが大人気。
夜は一転DJが入り、当時の最新ディスコヒットをガンガンかけていたが、今は廃墟と化している。
最終日はツアーメイトを半ば強制的に土産屋に連れて行った。
これが駐在スタッフ唯一の小遣いで「R」と言われていたが、要は連れて行ったメイトの売上の何%かが駐在スタッフのみにバックされた。(ヘッド以下はタダ働き)
提携先はラフォーレシャンピア内の「マザーグース」「ペパーミントハウス」「ホワイトハウス」。
ヨロンだったらサブさんの「タンディー」かマサさんの「ココハウス」。
メイトが他店に行きたい!と言っても、いかに提携店舗に金が落ちるように仕向けるかは駐在の腕だった。
こんな感じのツアーを、平均で夏は7-8本、冬は15本近くこなした。