1979年末から、さらに輪をかけるようにしてサーファーディスコは盛り上がりました。
これは別にディスコシーンに限られたことではなく、一般世間も空前のサーファーブーム。
サーファー御用達雑誌「Fine」も創刊1周年を迎え、すっかり定着していきました。
他にもトレンディー雑誌の原点「POPEYE」もこの頃がピーク。
そして海には一切入らないくせに格好だけは一丁前な「陸サーファー」が街にあふれかえりました。
ファッションはオトコが「ゴッデス」「タウン&カントリー」「ディックブリューワー」等のサーフボードメーカーや「ボートハウス」のロゴ入りトレーナー。
ファーラのホップサック&トップサイダーのデッキシューズ、夏場はアロハ裏地やプルオーバー&ライトニングボルトのビーサンが大流行。
髪型は必殺ワンパターンのサーファーカット。
一方自分は、高校はギリギリで卒業はできたものの大学には進学できず、浪人生活を送っていました。
浪人というと暗いイメージだが、自分の場合は昨年の大学祭でDJとしてカオが売れ、様々なダンパに呼ばれるようになり、女子大生に囲まれる華やかな日々を送っていました。
ダンパの開催先は女子大や短大が多かったので、自然に女子高生から女子大生への関心が強くなりました。
また、女子大生に人脈がたくさんできたので、そのおつきあいでディスコも六本木へばっかり行くようになり、浪人中にも関わらずスクエアビル通いの日々でした。
新宿は、唯一カンタベリービバ館は、六本木のような大学生中心のサーファーディスコだったかな?
女子大生ファッションの典型は「SEAS」等のトレーナーにスカート&ボンボン付きハイソックスにミハマの靴等を組み合わせる「ハマトラ」。
これはこの年デビューした松田聖子ちゃんカットと非常に良くマッチして、すっごく可愛かったなぁ。
バリバリサーファー系はレインボーステッチのサーフパンツにエンジェルスフライト。
ジョーバンのムスクつけまくりで、化粧は青いアイシャドーにオレンジ系の口紅。
耳には花のイヤリング&ちょい潮焼けしたレイヤードカット。
このスタイルは誰でもすごく可愛く見えて、「後姿美人」には随分だまされたもんです。
その頃のディスコシーンではほんの一瞬だけテクノサウンドが流行!
YMO「テクノポリス」「ライディーン」、シーナ&ロケット「ユーメイドリーム」、プラスチックス「トップシークレットマン」ジューシーフルーツ「ジェニーはご機嫌ななめ」・・・
洋楽でもMを筆頭にクラフトワークやディーヴォ・B52等が隆盛を極めました。
ファッションも白と黒の市松模様の服やベルト、小物に至るまでいろいろと出回りました。
しかしこのテクノブームは一過性のもので、すぐ廃れてしまいました。
それ以降はサーファーディスコ一色。
後ノリで上手下手がはっきりわかるサーファーダンスが隆盛。
曲もウエストコースト風の軽いポップファンクから、ルパートホルムズ・ディックセントニクラウス・ハープアルバート等のAORを取り混ぜながら、サーファーディスコ最盛期・1981年に突入!